時々狂おしいほど君を抱きしめたくなる/秋休み
秋ですね。涼しいの最高ですね。
今年春ごろから勤めている韓国企業にタメの同僚がいるんですが、
彼女が最近になって、かの名作ドラマ『ロマンスが必要2』を見始めたと言っていて、
こりゃもう一回見直さないといけないなあと思っているこの頃です。
『ロマンスが必要』っていうドラマは1〜3作までシリーズものなんですが、
なんてったって2が秀逸です。
もう一度言います。
2が秀逸です。
ストーリーも役者もいいですが、
個人的には秋休み(가을방학)という韓国インディーズのアーティストの曲がとっても印象的に挿入歌として使われているところ、だいぶ好みです。
その曲というのがこれ。
わたしの趣味は韓国インディーズバンドや曲をネットで漁ることなんですが、
秋休みのボーカル・ゲピ(계피:韓国語でシナモンの意味)は10年くらい前にbroccoli, you too(브로콜리 너마저)というバンドをやっていてそこで初めて知りました。2008年のアルバム『普遍的な歌(보편적인 노래)』は今でも好き…名盤です。おすすめ。
で、
ドラマ挿入歌にもなった「時々狂おしいほど君を抱きしめたくなる(가끔 미치도록 네가 안고 싶어질 때가 있어)」という曲なんですが
季節の変わり目になるときまって聴きたくなるんですよねえ。
特に春と秋。
暖かくなったり寒くなったり、うつろう季節にすでにエモエモな28歳の心にしみわたります。
たぶん30歳のわたしも40歳のわたしも
「この季節にこの曲があってよかった。」って思うんだろうな。
それくらい大好きな曲。
おわり。
映画『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』
いやあ近年稀に見る大雪だねえ
なんて言いながら、部屋から眺める雪。最高。
AmazonPrimeに入ってからほとんど「有田とプロレスと」しか見ていなかったので、
昨日やることが一段落したところで映画を見た。
見たのはこれ。
ちなみに原題は"5 flights up"で、ジャケットはこんな感じ。
タイトルといいジャケットといい、作り方によってこれほど雰囲気変わるのね。
もともとのジャケットでもアメリカ製のポジティブ&ハッピー&ハートフル映画っていう雰囲気はしっかり伝わってくるけど、
日本版の『(500)日のサマー』っぽさというか、
ニューヨークとかブルックリンっていうワードに引っかかるカルチャー寄りな人たちをちゃんと囲える空気をまとっていて、すごい。
イラスト風のジャケットも細やかで好きだし、思い切った方向転換が作品をもっとよくした例だなあと。こういう伝え方は素敵だ。
それで鑑賞後に思ったことは、
「こんな夫婦になりたぁぁい!」
でした。
地に足ついて普通っぽいんだけど、
「あぁこういうの〜理想〜」っていう夢もつまってる。
絵描きっていう自由な職業の旦那さんを無条件に受け入れてる奥さん、彼女の職業は…教師かあ…カタいよね。やっぱりそうだよね。とか思いながら、自分の今後を案じてしまいました。
モーガン・フリーマンのことは、いつも1回は必ずデンゼル・ワシントンと言ってしまう。
山崎賢人のことも、いつも1回は必ず斉藤くんと言ってしまう。なぜ。
久々に見た映画がちゃんとポジティブ&ハッピー&ハートフルでよかった。
劇中で起こるブルックリンブリッジ封鎖が、東京のレインボーブリッジ封鎖と重なったのも臨場感あったな。
ラ・ラ・ランド
観ましたか、『ラ・ラ・ランド』。
「アカデミーでw読み間違えられちゃったやつw『ラーララーンdっ(授賞式のモノマネ)』ってか」
なんてナナメ45度から言ってないで(そんなやついないか…)。
アカデミー賞獲ったような大衆向け映画はちょっと手出しにくいなーなんて思っている人にこそ、観に行ってほしいんです。
私は公開初日に観たのでもうかれこれ1ヶ月経っているんですが、
こんなにも長い間心を持っていかれた作品は初めてです。
鑑賞翌日からサントラが聴けないくらい、えぐられてます。
そう、たまたま職場の上司が私と同時刻・同劇場で鑑賞していたらしく、
(本当に気づかなかった、でもかえって没頭できたからそれでよかった)
週明けにそれぞれの感想を話しながら消化できたから良かったんですけど、
ずーっとその衝撃は頭に残ってました。
文字にしようにも筆が(正確にはタイピングが)進まず。
でも今日書き出したのは、あるレビューを読んだから。
もうこれだけ読めばこの後の私の文章なんか読む必要ないくらいすごいので、
ぜひご一読を。これ読んでまた泣いたわー。
それと、掲載日が私の誕生日だったというところにも勝手に運命めいたものを感じてしまったので、
ちょっと手遅れ感はあるけど書き残しておこうと思います。
では「ラ・ラ・ランド」に端を発する、私のメンタル異常気象をちょっと振り返ってみたいと思います。※ ネタバレ含むと思います
【哀】映画オープニングで号泣
監督の前作『セッション』も観てないんですけど、
ミュージカルに造詣が深いわけでもなんでもないんですけど、
たまたま初日に早く仕事が上がれて近くに映画館があったので行っただけなんですけど、
オープニングで高速道路のあの遥か先までたくさんの人たちが歌って踊っている姿を観たら
「歌とかダンスで体いっぱい表現をすることに魂注いでいる人がこんなにたくさんいる…この撮影のためにいっぱい練習してきたんだろうなあ……はあ、尊いぃぃ!」
と、ダンサーの方々への敬意がとまらず。涙もとまらず。
そういう映画だって聞いてなかったからハンカチもティッシュもなく、
売店でもらったウェットティッシュでずっと涙を拭う始末。
おかげさまで2時間超、ティッシュのウェットな状態が保てたというね、ハハ。
【哀②】夢を追う二人…に襲いかかる”現実”に撃沈
印象に残っているのは、
・ミアの初公演、現実そんなに甘くない…
→ いろんなことに言えるけど
「本気で頑張ろうとするとかならず高い壁があらわれる」じゃないですか。
上司の言葉を借りれば”努力は必ず報われるわけじゃないのが妙に現実”っぽくて響きました。
自分が一番欲しいものはいっつも、すこーしだけ無理しないと届かないところにある。出来なくもなさそうだから諦められなかったりして。これがまた辛い。
でもこの映画で言えば、高い壁を見上げるのに疲れて落ち込んでいたら足元にトンネルの入り口があるのに気付いた、みたいなこともあるんだろうな。
何がきっかけになるか分からないなあ。
・セブ「君は自分自身の優越感のために僕と一緒にいるんだろ」
→ 違う、違う、違う。そんなこと言わないで。
もうやめてー!って声出そうになった。
・最後たたみかけてくる…「もしも◯◯だったら」
→ なんで、なんでなのだ。
そう、
【ちょい怒】なぜあの結末なのか
この1ヶ月を振りかえってみると、
映画を観終わった瞬間から「なぜ結末があれでなければならなかったか」ばかりを考えていたと思います。軽く憤るレベルで。
というか、もっとピンポイントに「現実味=別離」じゃなくてもいいじゃないかと。
どこかのインタビューで監督が、ミュージカルや音楽の素晴らしさを知ってもらいたいということと、それでいて徹底的に”現実”にこだわったというような話をしているのを見かけました。
分かるけど、分かるけどね。
私に言わせればそんな夢のない話はないんですよ。(監督の狙い通り現実味バッチリ出てるやないかい)
彼らの道を別の方向に向かわせることになった分岐点は、やっぱりオーディション前のワンシーンだなと。
人生は選択の連続だとはあちこちで言われることですが、あそこで”決めなかったこと”の功罪はやっぱり大きい。
私にミュージカルの面白さを教えてくれた友人の言葉を借りると”あの選択の場面で恋よりも夢を優先させるところが夢追い人のリアル”っぽくもあるんですが、
遠距離恋愛中の私からしたら「そこ、決めでしょ?決めちゃえ(決めてくれ)よ!」みたいにしか見えなかったりするんです。
ところで、ラ・ラ・ランドで描かれた2人の恋愛に関しては、先ほど紹介した田中さんの記事にはこんなふうに書いてあります。
でもね、ぼくは47歳のいいおっさんですからね。これは「追憶」に関してのラストなんですよね。追憶は、後で振り返るから美しいんであって、いま現在恋愛に悩んでいたり、これから交際や結婚に希望を持ってる人はちょっとイラっとするかもしれない。
ここ、本当に、生まれて初めて映画批評に救われたと思いました。
私がこうまでして結末にこだわっているかと思えば、上司や友人にはその部分が全く響いていなかったりして、見る人によって観点がてんでバラバラなんです。この映画。
ということは、
ラ・ラ・ランドという映画は、見た人の年齢とかそのときの心配事とか、もっとひっくるめて人となりそのものを映し出す映画だなあと思ったんですよ。
だから今は、たしかにこの1ヶ月憤ったけど、
27歳の誕生日を迎えるころの私が抱いた、ここに書いたままの感想でいいんじゃんって。子供みたいに「なんで別れなきゃいけないんだよ」って思ってる私でいいやって思ってます。
また10年後とかに見返すことがあれば、そのときにはここに書いたことと違う感想を持っていたらいいな。このブログが、最高の酒の肴になるその日まで。
【喜】すごく良い映画だった!
これに尽きます。
エマ・ストーンが輝いていた。めちゃくちゃチャーミング。好き。
映画でも音楽でも小説でも、出会うタイミングってすごく重要じゃないですか。
今、いろんなものが固まりきっていない時期にこの映画を知れて、感情を揺さぶってもらえて本当に良かったと思います。
私ってば、いついろんなものが固まるんだろうという謎は残りますが、まあそのうち?
ここまで読んでくれた(割と暇だと思われる)アナタはぜひ、
こんなもの読んでないで映画をみてくださいませ。
完。
서울 갔다왔어요.
※韓国語 ONLY※
1년만인 방문은 엄마와 함께한 효녀여행.
경리단길(2박3일이란 짧은 시간 내에 두번이나 찾아간 그곳. 서울타워 야경이 예쁘다며 잘 마시지도 못하는 술을 먹었더니 엄마는 호텔 도착하자마자 기절했다.)
진미식당(맛있다 밥도둑! 고한도로보~!)
통인시징의 기름떡볶이(할머니 지금 식사 가능한가요? 라고 묻더니 "여긴 식사집이 아니지. 전집이지"라고 하셨다. "전은 식사가 아님"을 께달은 뒤, "식사의 개념을 다시 한번 고찰해봐야겠구나"란 생각을 했다. 한국말에 깊음을 느낀 한컷.
중국사람으로 꽉 찬 신라면세점 (대박임.)
서울에 있는 이슬람 모스크 (존재를 아예 처음 알았고, 그냥 예뻤다! 신기신기)
우연히 들린 커피집 챔프커피(원래 가려고 했었던 피자집이 문닫아서 바로 옆에 있었던 커피집으로. 그 동네에서 굉장히 유명하다는 그 집. 대부분은 일부러 오는 손님인데 우리처럼 우연히 오게되는 사람은 겨우 2%란다. 사장님 복 받으셨네요. 꼭 다시 가고 싶게 만드는 기적의 커피집)
이렇게 새로운 서울여행은 처음이었어요.
벌써부터 가고싶으... 또 갈게요 호호.
幸せになることですよ。
「急いでもらえますか」
そう言ってタクシーから見た渋谷は人でごった返していて、運転手のおじちゃんも、今日は特別人が多いような気がしますよと言った。
おじちゃんがわたしの行き先である場所の名前を挙げて、素敵なところで式を挙げられるんですね、ご友人ですか?と聞いてきたので、高校の友人なんですと言うと、お姉さんの世代なのにまた古風で良いじゃないですかと笑いながらしみじみとこう言った。
「わたしは前まで会社をやってましたけどね、男っていうのは子どもが生まれると生活がガラッと変わるもんなんですよね」
23歳のときに身ひとつで関西から上京した彼は、ファッション関係のメーカーの社長をしていたそうで、自社で抱えるデザイナーやパタンナーと一緒に婦人服を主に製作していたということだった。もっと遡ると、生地屋でキャリアをスタートさせたあと、営業を経てバイヤー、そして憧れの人の背中を追いかけて「東京で一旗上げてやる」ということで上京したのだそう。「わたしはね、単純なんですよ。やりたいと思ったらもうそればっかりでね」とケラケラ笑うおじちゃん。どんどん浮かんでくる質問にも、楽しそうに答えてくれた。
「子どもができるとね、やっぱり家で一緒に過ごしたいじゃないですか。私が会社やっていた時代は、お姉さんは知らないでしょうけど、土曜日は基本的に働いていてね。日曜日に休めるかどうか、でしたよ。だけど私は家族といる時間が欲しかったから、会社全体で土日休みにしちゃったんです。社員は喜びましたけど、取引先からはおたくは営業日が少なくて困っちゃうよなんて言われたりして。平日に集中して働いて、土日は休む。それでもまあ、会社の方もなんとかなってましたし、結果オーライですよ。」
わあ、なんてかっこいいんですか。でもなんで今はタクシーの運転手さんに?と聞くと、ニヤッと笑いながら、お姉さん着くまでで時間が足りないかもしれませんねえと言った。いっそ回り道をお願いしようかとも思ったけど、思い直して続きを聞いてみる。
「私ね、家族がみんなバンコクにいまして。」
は? と驚く私にも構わず、話は続く。
「息子が縁あってバンコクで起業をしたんですが、娘がそのつながりでヘッドハンティングされましてね、どちらもバンコクに行ったんですよ。そしたら家内も夢を叶えるとかなんとか言って行ってしまって。私は1人日本で暮らすことになったんですが、まあ家族から”孤独死が心配だ”とか言われて去年バンコクに行ったわけですよ、住所も全部抜いてね。」
「向こうでは食事の合間に散歩とプール、家族と過ごす悠々自適な生活でした。寂しさもなくてね、良かったんですけど、3ヶ月でもう飽きちゃったんですね。その期間に私16キロ痩せたんですよ。病院の検診でも悪いところがなくて、逆に健康的になって良かったですねなんて言われて。これはもう合わないんだと思って日本に帰ってきたんです。それが去年ですね」
なんかもう予想の遥かナナメ話うえをいく展開すぎて、ついてけませんと笑うと、私もこんな風に生きると思ってなかったでしたからねえとおじちゃん。
「それで帰国したは良いんですけど、住むところなかったんですよね。だから寮があって67〜8歳を雇ってくれるところを探していたと。まあ私の弟がタクシー業が長くてですね、営業とかセールスをやってきた私なら合うんじゃないかってこの仕事をすすめてくれて。うまい具合に見つけて、今に至るということですね。」
普通ならめげそうな状況でも逆に楽しんでしまってる感じが清々しくて、すっかりおじちゃんのファンになっていたところで、残念、タイムオーバー。最後に私の話も聞いて欲しくて、近況をちょっと話してみたりした。そうですかそうですかとうなずくおじちゃんは降りしなに、わたしの目を見てこう言った。
「お姉さん、幸せになることですよ。頑張ってください。」
おじちゃんはメガネをかけていたのだけど、その奥の瞳が嘘じゃなくてすごくすごく澄んでいて、うわあって声に出して驚いてしまった。このおじちゃん、すごい。私いま何かすごいものをもらった気がする、そわそわ。
ドアを閉めてから、名刺でも渡せば良かったと思ったのだけど、一期一会の魔法の存在ということで胸にしまっておくことにした。だけど、ちょっとこれは一生忘れたくないので珍しく文字にしておきます。とにかく良い出会いだった。おじちゃん、お元気で。
どうしようもなく、そうせずにはいられないもの。
「自分」という、勘違いにも似た意識がもしあるとすれば、
それがぐっちゃぐちゃにされてくったくたのペッラペラになったとき。
悔しさと恥ずかしさと虚無感に、ただただ圧倒されたとき。
そんなドン底の状況でもどうしようもなく求めてしまう「なにか」は何か。
それらを求めてしまう理由は何か。
最近はもっぱらそんなものの観察をしています。
見つけた「なにか」を一部書き留めておくと
・グレープフルーツを食べること(今の時期が一番おいしいと思う)
・とりとめもなく文章を書くこと(手紙を書くのが一番楽しい)
・前髪を気にすること(短い方が似合うと言われました)
・韓国人タレントのラジオを聴くこと(5年前に終了した番組を無限リピート)
思っていた以上に、
両手いっぱいにたくさんのものを持つことに向いていないなあと、気づいたのでした。