Have Fun、な気持ちで。

おもう、かく、かたちにする。

幸せになることですよ。

「急いでもらえますか」

 

そう言ってタクシーから見た渋谷は人でごった返していて、運転手のおじちゃんも、今日は特別人が多いような気がしますよと言った。

 

おじちゃんがわたしの行き先である場所の名前を挙げて、素敵なところで式を挙げられるんですね、ご友人ですか?と聞いてきたので、高校の友人なんですと言うと、お姉さんの世代なのにまた古風で良いじゃないですかと笑いながらしみじみとこう言った。

 

「わたしは前まで会社をやってましたけどね、男っていうのは子どもが生まれると生活がガラッと変わるもんなんですよね」

 

23歳のときに身ひとつで関西から上京した彼は、ファッション関係のメーカーの社長をしていたそうで、自社で抱えるデザイナーやパタンナーと一緒に婦人服を主に製作していたということだった。もっと遡ると、生地屋でキャリアをスタートさせたあと、営業を経てバイヤー、そして憧れの人の背中を追いかけて「東京で一旗上げてやる」ということで上京したのだそう。「わたしはね、単純なんですよ。やりたいと思ったらもうそればっかりでね」とケラケラ笑うおじちゃん。どんどん浮かんでくる質問にも、楽しそうに答えてくれた。

 

「子どもができるとね、やっぱり家で一緒に過ごしたいじゃないですか。私が会社やっていた時代は、お姉さんは知らないでしょうけど、土曜日は基本的に働いていてね。日曜日に休めるかどうか、でしたよ。だけど私は家族といる時間が欲しかったから、会社全体で土日休みにしちゃったんです。社員は喜びましたけど、取引先からはおたくは営業日が少なくて困っちゃうよなんて言われたりして。平日に集中して働いて、土日は休む。それでもまあ、会社の方もなんとかなってましたし、結果オーライですよ。」

 

わあ、なんてかっこいいんですか。でもなんで今はタクシーの運転手さんに?と聞くと、ニヤッと笑いながら、お姉さん着くまでで時間が足りないかもしれませんねえと言った。いっそ回り道をお願いしようかとも思ったけど、思い直して続きを聞いてみる。

 

「私ね、家族がみんなバンコクにいまして。」

 

は? と驚く私にも構わず、話は続く。

 

「息子が縁あってバンコクで起業をしたんですが、娘がそのつながりでヘッドハンティングされましてね、どちらもバンコクに行ったんですよ。そしたら家内も夢を叶えるとかなんとか言って行ってしまって。私は1人日本で暮らすことになったんですが、まあ家族から”孤独死が心配だ”とか言われて去年バンコクに行ったわけですよ、住所も全部抜いてね。」

 

「向こうでは食事の合間に散歩とプール、家族と過ごす悠々自適な生活でした。寂しさもなくてね、良かったんですけど、3ヶ月でもう飽きちゃったんですね。その期間に私16キロ痩せたんですよ。病院の検診でも悪いところがなくて、逆に健康的になって良かったですねなんて言われて。これはもう合わないんだと思って日本に帰ってきたんです。それが去年ですね」

 

なんかもう予想の遥かナナメ話うえをいく展開すぎて、ついてけませんと笑うと、私もこんな風に生きると思ってなかったでしたからねえとおじちゃん。

 

「それで帰国したは良いんですけど、住むところなかったんですよね。だから寮があって67〜8歳を雇ってくれるところを探していたと。まあ私の弟がタクシー業が長くてですね、営業とかセールスをやってきた私なら合うんじゃないかってこの仕事をすすめてくれて。うまい具合に見つけて、今に至るということですね。」

 

普通ならめげそうな状況でも逆に楽しんでしまってる感じが清々しくて、すっかりおじちゃんのファンになっていたところで、残念、タイムオーバー。最後に私の話も聞いて欲しくて、近況をちょっと話してみたりした。そうですかそうですかとうなずくおじちゃんは降りしなに、わたしの目を見てこう言った。

 

「お姉さん、幸せになることですよ。頑張ってください。」

 

おじちゃんはメガネをかけていたのだけど、その奥の瞳が嘘じゃなくてすごくすごく澄んでいて、うわあって声に出して驚いてしまった。このおじちゃん、すごい。私いま何かすごいものをもらった気がする、そわそわ。

ドアを閉めてから、名刺でも渡せば良かったと思ったのだけど、一期一会の魔法の存在ということで胸にしまっておくことにした。だけど、ちょっとこれは一生忘れたくないので珍しく文字にしておきます。とにかく良い出会いだった。おじちゃん、お元気で。